買い物かご
0
マイページ

800余年の伝統がある会津田島祇園祭

会津田島祇園祭

天領の誇りと心意気を見せて。800余年の伝統。

国指定重要無形民俗文化財「田島祇園祭おとうや行事」保持社
田出宇賀神社祇園祭 熊野神社例大祭

会津田島祇園祭は、鎌倉時代の文治年間(1185年頃)、時の領主長沼宗政の祇園信仰により、この地に祇園の神(牛頭天王須佐之男命)を居城鎮護の神としてまつり、祇園祭の制を定め旧来よりの田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行われたことが起源とされています。

この祭は、古くより『西の祇園社、中の津島社、東の田出宇賀社』と言われ日本三大祇園の一つと称し伝えられています。明治12年より田出宇賀神社の祇園祭日に併せ、隣地にまつる熊野神社祭礼を祇園祭の格例に準じて行うことが定められました。(以後、田出宇賀神社・熊野神社を「神社」と略しす) 会津田島祇園祭はお党屋制度とよばれる制度によって運営されています。


1年神主のお党屋本の家を、その年のお党屋組員が支えて祭事を担当し、現在9組のお党屋組が存在します。
9年目に巡ってくる「当番」お党屋組を中心に、去年のお党屋組「渡し」と、来年のお党屋組の「請取り」、3組が織りなす祇園祭は、1年を通した3年がかりの大行事です。
この八百余年の伝統が、昭和56年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。このお党屋の役目は1月から始まります。 

◆お党屋お千度 1月15日
「お党屋お千度」は、当番お党屋が祇園祭行事としてその年のいちばん最初に行う行事です。
わらじ履きのお党屋男衆が、神様へのお供物を持ち神社へ向かい、宮司が祝詞奉幣を続けている間中、神社参道の手水舎と拝殿を幾度となく往復して思いを願いながらお千度参りを行い、身を清めます。
その後、宮司宅で「直会(なおらい)」が行われます。
直会は、神に供えて神の精霊にふれたものを人間も飲食し、精霊を体内に導いて神の霊験をいただく意があるといわれています。この席では、豪快な御神酒1升の大回しが行われます。
直会後、弓張提灯の家人に迎えられ、天王さま道と呼ばれる参道を帰る様は、田島の正月の風物詩となっています。

◆大祓いの式 6月30日
お祭りを前に再度身を清め、お祭りが無事に執り行われるよう、お党屋組のお祓いが行われます。

その後、7月7日には参道の両側へ建てられた御神燈に明かりが灯ります。

この日以降、「代参」「御神酒仕込み」などの様々な準備や儀式が執り行われていきます。
(詳しくはこちらのPDFをどうぞ)

◆宵祭 ~例祭~ 7月22日
10時頃から神社にて「例大祭」が行われます。
例祭では氏子一同参拝のほか、神社拝殿にて浦安の舞奉奏などが行われます。

お昼前には国道121号線の車両交通規制が始まり、およそ1.5キロにわたって歩行者天国となり、道路のわきに露店が立ち並びます。そして夕方16時頃からは「屋台運行」が始まります。

屋台は「西屋台・上大屋台・中大屋台・本大屋台」と町内4つの屋台があり、前半分が舞台、後半分が楽屋となっていて子供歌舞伎が上演されます。

芸場と呼ばれる町内の定められた氏子の家の前に屋台を止め、歌舞伎を一幕ずつ披露します。
一幕終わると次の芸場に移動します。移動の際には幼い子どもたちが屋台に乗り、屋台上の子どもたちは「オーンサーンヤレカケロ」と屋台を押す世話人をはやしたてます。

屋台上の子どもたちは「オーンサーンヤレカケロ」と屋台を押す世話人をはやしたてます。

その頃お党屋本の家では「夕御ケ神事」が行われます。


神事の後は直会があり、明日の打合せなどが行われます。

◆本祭 ~渡御祭~ 7月23日
「榊迎え」…夜が明けないうちに渡御神輿台に取り付ける榊となる楢の若木を党本へ迎えます。
来年のお党屋組がこの役にあたります。

「神輿洗い」…去年と来年のお党屋組が社殿から二台の神輿を出し、清水でもって拭き清めます。

「七度の使い」…両親の揃った男の子が二人選ばれ、裃姿(かみしもすがた)に草鞋履きでお党屋への御神幸を願うため、手水をつかい社頭にての参拝を6度繰り返します。
7度目は本陣に戻り七行器行列の先頭で参向します。

「七行器行列」…七行器はナナホカイと呼び、7つの器のこと。
角樽にお神酒を3つ、赤飯を入れた行器を3つ、鯖を載せた魚台1つを盛りおさめお党屋組中両親持ちの男女がこれを奉持して奉献する神事が七行器行列です。
七行器行列は、祭礼中の重儀(最高の儀式)として奉仕されます。
お党屋本から神社へ向かって歩いていき、出発は午前7時50分頃です。

「お神輿渡御」…お神輿に神様を乗せ、人々の疫病や災難を祓い町内の安全を願いながら巡り歩き、お党屋本を目指します。
発輿に先立ち「神輿祓式」「神輿遷座式」が行われ、午前10時頃出立。

 

御神輿のうしろには稚児行列と呼ばれる行列が華を添えます。
昭和26年から始まった稚児行列には、数え年で13歳になる小学6年の女の児があたり、昔から当地にある十三講詣りの意味が込められています。

出立の際には、「お支度触れ」というお神輿の出発を町内に触れて歩く役目の人が出ます。
その人目を惹く風体は、波に千鳥模様の裂羽織、5色の襷掛け、内には派手模様の単浴衣を着て女帯を前結び、頭へ1枚板の冠を載せ太紐で顎に結わえ、右手に赤房付きの軍配を持ち、草鞋履きという出で立ちです。
神社前、それから御旅所ごとに大仰な身振りで歌舞伎の六方を踏みながら「お神輿の御発ち、お支度なされましょう」と大声で触れ歩きます。


「神輿前神事」…お神輿がお党屋本へ到着すると、そのまま路上で神事が行われます。
そこには、前後のお党屋組、当番お党屋組、お党屋本が参列し、全員で神様の臨御をお迎えします。
神事が済むと、本陣前に架けていたご神橋を渡ってお党屋本本陣の家に入ります。
神棚拝礼後、童子によるお手掛、お茶、煙草盆の接待があります。


「御鉢米神事」…「請取り渡し」とも言われ、前後と当番の3組のお党屋本は夫婦揃って参列し、卜占と予祝神楽の御鉢米を撒じ、拝辞を奉上し神事を行います。

その後、お神輿は再び町内を巡り、神社へと還っていきます。


街中に並んだ露店のまわりは大勢の人で賑わい、子どもたちもこの露店を楽しみにしています。

夕方になるとまた屋台が動き出し、それぞれの芸場では子ども歌舞伎が上演されます。

午後23時頃に最後の屋台歌舞伎が終演となり、町は静けさを取り戻していきます。

◆後祭 ~太々御神楽祭~ 7月24日
「帰座の神事」…宮司をお党屋本へ招き、昇神式の神事を行ったのち、床の間に設けていた神棚を取り払う「お棚こわし」が宮司の手で行われます。

「諸道具引譲り」…帰座の神事の後、来年のお党屋組を招き、祭礼に係る諸道具一切を一点ずつ品改めしながら譲り渡します。
 

「御幣奉鎮の神事」…諸道具引譲りを終えると、お党屋組全員、紋付羽織を着用し、神社へ納めるべき神幣等一切を持参し、神社へ納付します。

神幣は本殿に奉鎮し、祇園祭成就奉賽神事が行われ、その年のお党屋組のすべてが終了します。

「太々御神楽奉奏」…午後13時頃になると神社の神楽殿にて、氏子の楽人により継承される田出宇賀神社一社相伝の出雲流太々神楽が始まります。
天地開闢・鎮悪神・岩戸開など13座の神舞の奉奏を以って、その年の祇園祭は終了となります。


田島地域の夏の一大行事となっている会津田島祇園祭。

先人が守り続けてきたこの伝統的なお祭りを大切に、そして楽しみながら、次の世代に残していきたいと思います。

 
 
 
 

<