昭和村・中向地区から、只見町布沢地区を結ぶ吉尾峠(よしゅうとうげ)。銀山街道の一部でもある歴史ある峠。地元の人から吉尾道(よしゅうみち)と呼ばれており、山菜やきのこを求めて周囲の山に入る来訪者も多いとか。
ベテラン勢に混じって作業
今回地元の方に誘われて、9月の末に吉尾峠の普請(維持管理のための共同作業)のお誘いをいただいたので参加してきました!
普請の内容は、昭和村側の峠道部分のすべての草を刈る!朝8時峠の入り口に集合とのことで、早めに家を出るも、現地にはすでに参加者の皆さんが(笑
※昭和村あるあるですが、普請などの作業は、最低でも15分前には、行かねばなりません。30分前ぐらいから集まり出して、ある程度集まると作業が始まります!
山頂までの数キロを、何人かのグループに分けながら草を刈り払っていきます。段取りをしてくれた中向区長さんの中丸さんは、木道部分の草をキワまでかるからと、ナイロンコードの草刈機やら、紅白ポールと重装備。
いよいよ運命のグループ分けです。担当を命ぜられたのは、若いからという理由で、山頂付近…。頑張って山頂付近まで行きます!
同じグループの中には、元営林署勤めの山歩きのベテランも。なんとなく残る道形を頼りに、ぐんぐん進んでいきます。
刈り払い機は、持ち込みですが、刈り払い機には、肩掛けタイプと背負いタイプがありますが、こういった山道での作業には、背負式の方が楽そうですね。
休憩をとりながら山頂へ
道中、渓流釣りの方もおられ、玄人っぽい釣り師さんは沢を求めて登ってきたそう。
休憩をとりながら、山頂付近を目指します。休憩中は、周囲で季節柄キノコを探す大先輩。今年はキノコが不作だそうな。
食べ物の話をしていたら、昔は峠道の中腹のあたりまで水田があったと教えてくれました。日本全国もそうかもしれないですが、昭和村には、今では山林になってしまった箇所に田んぼがこれでもかというぐらいあります。国土地理院などで、古い航空写真を見ると、今では山にしか見えない場所も、いくつも田や畑の形が残っています。
地域の歴史を伝える取り組み
吉尾峠とは別の場所ですが、中向地区では、こうした先人たちの営みを伝える活動にも注力しており、2022年には、旧高畔堀(たかぐろぼり)と呼ばれる堀の調査などを行い、それらをまとめたパンフレットなども作成しているそう。
山頂には山の神様
さて、話は作業に戻って、途中までは、さほど急ではない道も終盤から一気に登りとなります。岩肌が剥き出しとなる箇所を超えながら山頂を目指しつつ、刈り払いを行いますが、作業の関係上山頂には、たどり着くことなく終わりました(笑 山頂には、お社があり、山の神様が祀られているとのことで、後日写真を頂戴しました。
こちらの吉尾峠は、車は通ることができませんが、実は県道なのです! 今回は、維持保全のための、草刈り作業だけでしたが、人力施工による道の補修作業作業も行われるそう。
写真は、美女峠での補修作業の様子。
自然に還る材料を使いながら、より歩きやすい道をつくる作業が、少しずつ行われています。
吉尾峠は、10年ほど前には、ウォーキングなどのイベントも行われていましたが、コロナ禍などもあり、開催してこなかったそう。
久しぶりの開催に向けたお話もあるようなので、期待して待ちましょう!
吉尾峠の場所